私は私だけのみかた

しかし真に利己的に行動することは尋常の知性では難しい。

承認の結界、凶器の安息。

http://anond.g.hatena.ne.jp/annchan/20071014/1192352547
を読んで。

ビジネスは楽ですね。結果出せば、そして雰囲気の良い職場なら、上司、先輩、同期、後輩、それぞれから(表面的であれなんであれ)承認をもらえます。
プライベートは評価軸ないからね…怖いね…

あと

  1. 生きる理由
  2. 生きても良い理由
  3. 死んではいけない理由
  4. 死んでも良い理由
  5. 死ぬ理由

をそれぞれ個別に考えて頭を悩ませていたころの自分を考えた。

生きる理由は、今の私にはまだ見つからない。
生きても良いのは、承認をもらえたから。そして自分を認めることができたから。今はそう思える。
死んではいけないのは、死ぬと迷惑がかかるから。私のもたらしているポジティブな効果が消えてしまう。仕事で急に戦力が抜けて困る。家族が困った時に支援できなくなる。などなど。あとは私の死体の処理、荷物の整理が困る。
死んでも良いのは、私が生きていることで世界が困るから。資源を浪費する。有能なものが座るべきところに誤って居座る。その他人間であることの罪。人類であることの罪。男であることの罪。子供だった罪。
死ぬ理由は、今はもうない。昔はあった。逃避。苦しみからの逃避。そして自分の死をうまく使ってアレができないかコレができないかと考えた。でも死んだらその効果が測定できないしなあ。今振り返ると別に激烈に虐められていたというわけでもないのになぜあんなに死にたかったのか不思議だ。自分で自分を追い詰めていた要素が無くもない。

死ぬことが人生の選択肢の一つに見えていた時、縄や刃物を準備して眺めると安息を得られた。高いところから下を覗き込んで怖がってみたりもした。ナイフのカタログや専門誌を眺めてうっとりした。デザインナイフで工作していて指先をつついてしまった時、痛さに慌てつつも痛さと血によって肉体のリアルを感じた。臆病だったから血が見たくても自分を刺せなかったけれども。「完全自殺マニュアル」を読んで安らいだ。やろうとすればいつでも死ねるんだ。だから生きても良いや。そんな異常な安息を得ていた。
私に他者から与えられた承認は私の私に対する承認に変換されて、死のうとする手を徐々に徐々に拘束していく。昔の私は拘束から自由だった。いつでも死ねた。もう今の私は自分に対して刃物を振り下ろすことはできない。
私は外から見たら普通の、勉強も運動も得意じゃない、ちょっとぼけっとしている子だったろう。でも私のナイフ*1が私の心臓に食い込むまでの距離が紙一枚しかなかった瞬間は、確実に存在していたと思う。
私は単に幸運だったのだ。バランスがたまたま死のほうに傾かなかっただけなのだ。

*1:比喩的なソレね。子供から刀狩りしたって無駄よん。崖もロープも電気も水もあるんだかんね。