私は私だけのみかた

しかし真に利己的に行動することは尋常の知性では難しい。

侵略戦争は常に正しい

侵略は常に正しい。ただし、侵略する側の論理においては。
自分が誤っていて非道なことをしていると声高に叫びながら戦う奴はめったにいない。
それが国ならばなおさら。戦争や紛争を建前の上で正当化しなければ、一人や二人ではない大勢の人間を動かすことなど出来ない。


だから、「大東亜戦争」は新聞やラジオや映画のフィルムの上では正義の戦争だった。
警察官などの役人の前では正義の戦争ですよねはいはいと、誰もが従っているふりをしていた。
この戦争は勝てないとか、無駄な戦いであるとか、そういったことはおおっぴらには言えなかった。
戦争をやめたい人はいっぱいいた。国が怖くて行動できなかったし、行動しても鎮圧されたけれど。


あれは正義の戦争だった。極々一部の日本人にとっては。
しかし、連合国にとっては日本の行為は正義でもなんでもなかった。連合国にとっては連合国の行為こそが正義だった。


皆「自分が正しい」と思っているが、それは「皆の正しさ」ではない。
日本人は敗戦でそれを知った。それを理解している。私はそう信じたい。
反証がぽろっと出てきてしまったけれど。田母神俊雄という形で。


私は、大上段に振りかざす「正義」は嫌いだ。
でも、「正義に変わる何か」はあると私は信じたい。
死者の数が最も少なくてすむような何かが。
アメリカはその手段として適切だと信じて、大量の焼夷弾と原爆を使った。
ついこないだは巡航ミサイルと精密誘導爆弾を。
今も兵士の駐屯とUAVの放つミサイルで。
残念ながら現実は残酷だ。


日本はその手段は放棄した。アメリカに対して引き金を引かない代わりに、全部預けてしまう形で。
だから、何か別の手立てを考えなければならなくなった。
日本は戦争や紛争から目をそらすのに絶好の国だ。恐ろしく平和で豊かな国だ。
でも、「別の手立て」を考えるのに腰をじっくり据えられるのは、もしかしたら日本だけかもしれない。
だから、考えなくちゃ駄目なんだ。
自分たちが正義にならなくても、死ぬ人間が減る方法を。