私は私だけのみかた

しかし真に利己的に行動することは尋常の知性では難しい。

衝突

工学者というのは元来傲慢になりにくいと私は思っている。
天然自然を前にしてとにかくまず目の前の問題を人為を加えて何とかせねばならぬ。原理がわかるわからぬは科学者にほらこいつあおもしろそうでござんしょうととりあえず丸投げしておいて、ままならぬ自然を砕き欺し回避して目的を遂げなければならぬ。自分の生きている間には理屈は判明しないかもしれぬが問題をどうにかすることはできるかもしれぬ。ついでに理屈も判明すればおまけで小躍りできるであろう。そう考えるのが工学の考え方であると私は思う。
決して自分の都合の良いようには動いてくれはしないのが自然である。その前では謙虚であらねばならぬ。


プログラマというのもあまり傲慢にはなれないのではないかと思っている。自分の為したいことを気ままに書き散らしたとて言ったとおりにすべて行われて想像しなかった大惨事を規模はともあれ幾度も起こして成長するのであるから、自分の製造するものに対しては実れば実るほど頭を垂れる稲穂に成らざるを得ない。プログラマの傲慢さの噴出は主にプログラマではない人間にプログラミング言語の正確さ精密さを求める方向に出ると思う。


さてここで人や心を対象にして調べ影響を与え動かそうとする分野がある。企業内なら営業人事法務であろうし大学であればまあ文系というソレだし政治や宗教という大物もある。これらは影響を与える対象、つまり人の前で謙虚であることが時に望まない結果をもたらす。砕き欺し回避しようとするとき、大自然のように態度が影響しないことはない。内心はどうあれ傲慢にみえるように事に当たることが手法として時には必要とされる。


これらの文化の衝突というものはどうしても回避することは難しいと私は考えている。だから、ソフト屋において営業職や非技術職の上司との接触はどうあろうと発生し、誰かが嫌々折れなければいけない状況が頻繁に起こり、折れるのはプログラマになるのは半ば運命なのであろう。