引用、そのあふれるちから
いきなり引用する。
今日できないなら、明日もできない。
時を無駄にするな。――ゲーテ本来、引用をするなら引用したこの言葉について語るべきだが、ここで注目してほしいのは「引用した行為による読者への影響」と「この記法が生む視覚的効果による読者への影響」である。あなたはこの表現を見てどう感じるだろうか?
少し前にこんな遊びがあった。何でも良いので言葉を一つ書いて、後ろに「‐‐ゲーテ」とつける。たとえばこんな感じだ。
今この時点この時間は、奇跡の瞬間である。無為にしなかったこの瞬間の価値は時を経るにつれ増大する。*1
――ゲーテもう一丁
おおシャルロッテ、あなたは光
おおシャルロッテ、あなたは希望*2
――ゲーテおまけ
――ゲーテどうだろうか。偉人が言いそうな言葉ならゲーテの発言で無くてもそう思わせる効果がある。実は言っていないことがそれらしくなってしまうのはちょっと面白いし、まったく言いそうにないなら落差から多少のおかしみを生むことができるだろう。
この遊びはなぜ成立するのか?それは最初に述べた2点の影響力による。
まず視覚的効果について。ブラウザやスタイルシート等のデザインにもよるが、多くの場合区別がつくように地の文とは切り離されている。つまり筆者が違い、好き勝手に改変されていないフェアっぽさをかもし出す。
次に引用行為自体の効果。引用すると引用されるぐらいなので価値がある発言で、引用されるぐらいなので権威がある人なのではないかと思わせることができてしまうのだ。私が発言していないことを発言したことにすると都合の良い輩がいるようだね。
――フリードリヒ・ホソキン*4これなんかはほとんど捏造なんだが、なんか文章以上偉そうでしょ。
このように引用という記法が生む効果はかなりの「ちから」を持っており、それっぽい発言を捏造できれば何でも外部の権威を上乗せでき、外部の権威に対する評判も操作できる。
本来は適切に用いて正しく論理をつないで行くために必要な行為であるのに、ゆがめるために使えてしまうのである。
それでは最後にこの言葉で。常に警戒しろ。誰も信用するな。武器を手放すな。
その手の中にある代物だけではない。知性、体力、経験、状況、全てが君の武器だ。何もかも利用しろ。相手の警戒心すら。――アルファ・コンプレックス、「最後の理性」私は元来正直者でね、嘘をつくのがとっても下手なんだ。君もそのようだから、この嘘のうまい人たちの世界で生きていく方法を教えてあげよう。
本当のことを言うためには、たくさんの本当のことの中に少しだけの嘘を混ぜるのさ。みんなは嘘だらけの中から本当のことを掘り出そうとしているから、へたくそで明らかな嘘はすぐに見つかる。嘘が見つかってしまえば、後は全部本当に見えるって寸法さ。本当に本当のことだけで言葉をつくってしまっては、みんなは嘘が見つかるまで疑い続ける――つまり、永遠に信じてもらえないのだよ。