私は私だけのみかた

しかし真に利己的に行動することは尋常の知性では難しい。

命を軽く見る人、重く見る人

結局自殺した子なり手紙を送った子はまだ見つかっていないということで良いのかな。死んだ子がいなかったのなら、私は嬉しい。
はてなブックマークでピックアップされている色々な記事を見るに、何よりも命は大事だから死んじゃだめって人とそうでもない人がいるように思う。私は後者の立場を取る。前者の人は具体的に自殺を構想したり準備をしたことのない幸せな人ではないかと思ってしまう。それをのりこえたために当時の気持ちを忘れてしまっているのかもしれないが。
なぜ前者の立場がいまいちかといえば、自殺を考える時ってのは「命>他の要因」という正常な状態から外れて「命<他の要因」になってしまっているときだからだ。「命<名誉」「命<他者の命」「命<心」とかね。
そういうとき、命は大事だから死なないようにしようって言うのは倫理的にはとても正しいけど、自殺を止めるにはあまり役に立たないと思う。自分の命の価値なんて誰だって重いって分かってる。でも他のものが大きくなりすぎている場合、命の価値を引き上げるのはあまりうまくいかないかもしれない。他のものを小さくすることで止める方が心に届くと私は思っている。だから死の選択肢を心に抱えながら何かしてみろと書いたし、それで変わることもある。私の場合はぶんなげた椅子と机が効いた。状況さえ変われば心の中で自然に命の価値は重くなる。だから復讐をがんばれ。逃げるのをがんばれ。
あと死ぬ気でがんばれと言うくせにいざ行動を起こしたら他のものが自殺する恐れが云々書く人もいるが、そういうのはいわゆる岡目八目であって自殺を意図しているものに届くことはない。自分の命の価値が低まっているのに他人の命に価値なんてあるように思えるとでも思うのかい?
なお、がんばれがんばれ言っているが鬱病の自殺は別ね。脳という臓器の病気なんだから精神とか心の問題として扱うのは間違い。あれは励ますとやばい。がんばんないで薬で治せ。