私は私だけのみかた

しかし真に利己的に行動することは尋常の知性では難しい。

左翼2.0

「我々は!」の胡散臭さが昔から気になっている。
自分がそうなんだけど、非モテにしても文型理系論にしてもフェミにしても、環境活動にしても労働問題にしても年金問題にしても*1、どうしてこう全体をまとめて「コレはこうだ!こうあるべきだ絶対こうしろ!我々は要求する!」と言いたくなっちゃうんだろう。
そういうの、もうやめよう。なるべく。
実際詳細に語れるのは自分のこと、データがきっちりある個別のケースでしかないわけで。個々の人は自分の目の届く範囲でしっかりと目の届く範囲の主張をするほうが良いのではないだろうか。そして、そのへんを束ねて運動にするのはこれからの活動家の本当の仕事になるんじゃないかしら?
今までの活動家革命家は自分の主張を高らかに掲げて賛同者を募ってた。そうすると主張に妥協点なんて許されないし、集まる人がすべて共通に魅かれないといけないためピュアすぎる主張になっちゃうし矛盾が出てきても変更できない。変更は運動の解体を意味してしまう。それが左翼1.0である。
しかし、今後そういうのはとんだ甘ちゃんとして記憶の中に追いやられることになるだろう。これからは自分の主張を主張しないプロ中のプロ、個々の主張の事例を共通点と妥協点を把握しながらまとめあげてなるべく大量の人を動員し、全体の幸福と自分の目的のためなら変化も適切に内包し、分裂しそうになったらどうぞ分裂しなさいと分裂しつつも共通点のあるときにはきっちりと共闘する、したたかなバックグラウンド環境型行動をとる活動家や革命家が主流になるだろう。それが新しい左翼、左翼2.0である。

…って、また思いついた題名のみから無理に膨らませて文章を書いてきましたが、普通それは「政党」って言うんじゃないかなあ>俺。

*1:なんか人を呼んでくるためのスパム的呪文になっちゃってますすいません